25時の日記 Part2

    天罰

    「眠られぬ夜のために」を久しぶりに読んだ。
    内容がキリスト教に基づく話なので、信仰してない自分にとっては多少窮屈に感じるも、パラパラめくると所々含蓄のある文章に出くわす。人には勧めないが、鬱屈、消沈、怒り、やり切れぬ気持ち……そんな状態のときこの本を読むと、思わぬ発見がある。

    なるほど! と思ったものを紹介する。
    「執念ぶかい憎しみは内的生活をむしばみ、憎しみの相手よりも憎しみを抱く当人の心をそこなうものである」
    「……少なくとも復讐をやめて、神におまかせする方がずっとよい。それだけの理由があるかぎり、神はまちがいなく、ちょうど適当な時機にそれをなしとげてくださる……」

    人から侮辱されたり、裏切られたりしたとき、相手に対して憎しみを抱き仕返ししようと企むことは百害あって一利なし。かえって不愉快な感情、しこりが残り、自分が嫌な思いをする。
    うわべでは「許す」偽善的な振る舞いも得策でない。執念深く根に持っている以上、いつまでも相手への憎しみが消えることはないから。

    こういうときは、いっそのことすべて神にゆだねるのがいいと作者ヒルティは言う。
    ※神って何? ってツッコミはなしね。

    いわゆる天罰。
    侮辱、裏切り、冒涜。他人に与えた仕打ちは必ずや自分に跳ね返ってくる。言い方をかえると天罰が下るという意味。
    昔からよく言うよね、悪事をはたらくと罰があたるって。意味合いはそれに近いかな。

    「ちょうど適当な時機」それがいつかはわからないが、風の便りでかつて自分に悪態をついた人の噂が耳に入ってくることはままある。

    たとえば「○○さん大病をわずらって生死をさまよった」「○×さん、あんなに順調だった会社が倒産。お気の毒」「○○先輩、離婚してがっぽり慰謝料とられたらしいよ」

    これらはあくまでたとえ話で、侮辱を与えた行為と後の不幸との因果関係は不明。単なる偶然だろうけど、都合よく“神”を引き合いに出せばうまくおさまる。神の裁きを受けたんだなと。

    生きていれば何かとむかつく人と接する機会がある。そういう場合はいちいち恨んだり憎んだりするのはやめ、その場限りで柳に風と受け流し忘れること。どうしても許せないときは復讐など愚の骨頂。“神”におまかせしましょう。
    ちょうど適当な時機に……。


    1. 2009/12/09(水) |
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